8月15日はお盆の真っ最中ですが日本軍が連合国に無条件降伏をした日でもあります(日本ではない)。武装解除された日本はニュルンベルク裁判をまねた極東軍事裁判で多くの犠牲者を出しました。戦時中の罪でA級、B級、C級戦犯の名で多くの日本人が殺されたのです。A級戦犯とは平和に対する罪という意味不明な罪状でした。無辜の民を狙った焼夷弾による東京大空襲や広島、長崎への民間人への原爆投下は平和に対する罪になると思いますが裁判では無視されました。戦争の直接原因は日本への原油をはじめとする物資の輸出禁止でしたからそのまま飲めば日本国民全員に餓死せよと言うに等しい通達でした。これはのちに国務長官のハルが作ったハルノートとして知られていますが当時の米国にはソ連のコミンテルンの同調者やスパイがたくさんいて、日本を米国との戦争に引きずり出すための策動があったと今ではよく知られています。戦後にマッカーサーが米国議会で証言した「日本は主に自衛のために戦争に突入した。」というのは日本が米国との戦争をいやいやながら行ったということの証明です。

戦争で兵隊にとられて亡くなったのは主に大正生まれの若者でしたが父は運よくシナ戦線から復員することができました。物静かで嘘をつかず黙々と仕事をする典型的な日本人像そのものでしたが、亡くなるまでお金とは全く無縁の人生でした。大正生まれの父の世代が欧米と闘ったことでアジアや遠く離れたアフリカでも多くの国が独立を果たすことができたのは歴史が証明することでしょう。植民地から収奪を重ね巨大国家となっていたイギリスは戦後全ての植民地を失い、戦勝国なのに貧困にあえいだのは何よりの証拠です。

父は最後に息子の作ってくれたインプラントの歯で美味しく食事ができたことが一番の幸せだったかもしれません。合掌。

戦争の実態は勝新太郎の「兵隊やくざ」を見れば誰でもよくわかります。

父の上官も有田上等兵のような大卒のインテリで決して部下を殴らなかったという。