高校に入ってびっくりしたのは授業になると皆メガネをかけ始めることであとは授業が終わると先生を追いかけてわからなかったことを質問しに行く奴が結構いたことなどだ。

そんな時には自分は間違いなく進学校に入ったんだなあと否応なしに認識させられたものだ。
小生は15歳までど田舎の4クラス160人しかいない中学でのんびりとした生活だったので、勉強など試験の前日しかしたことがなく、計算問題が苦手だった理科の教師に代わって黒板で問題の解説をさせられたりしていたのだからのどかなものだった。

後に東大に二浪して入った同級生に「勉強は毎日継続してやるものだ」などと説教を垂れられていたのは今思い出しても可笑しい。
その頃の教師は大概が戦後の代用教員上がりで外人のヒッチハイカーが来ても会話が出来ず学校に泊めてやることもできなかったのを見た記憶がある。

参考書を買おうにも田舎の本屋にはほとんど売って無く、学年の変わり目に仙台に親と出て来て今はなくなってしまった高山書店で買っていた。

勉強はともかくとして小生は亡くなった父が学校に上がるだいぶ前から字を教えてくれ、マンガ本をたくさん買ってくれたので周りに子供がいない一軒家で朝から晩まで漫画ばかり読んでいた孤独な少年だった。
昔の漫画本は月刊誌で漫画をはじめ絵物語や小説まで何でもあっておまけもたくさん付いておりそれが一つのワンダーランドだったから学校の勉強よりよほどためになった。
少年マガジンが発売になったときは確か40円だった。月刊誌が100円で子供の小遣いが10円。

おじさんが自転車で売りに来るアイスキャンデーが5円のころ。

マガジンは父が発売日になると雪の中を遠くの本屋まで買いに行ってくれた。

ほとんど捨ててしまったと思っていたら父が戦後引き揚げてくるときにシナから持ち帰ってきた古いトランクにどっさり入れていたのを高校生のころ発見した時は躍り上がって喜んだ。

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「少年」の二大連載は鉄腕アトムと鉄人28号。子供のころは操縦機を持った正太郎少年にあこがれて鉄人の大ファンだった。漫画の別冊付録や豪華なおもちゃの付録も毎月のお楽しみで発売日が待ち遠しかった。

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漫画が月刊誌から週刊誌に代わり子供の小遣いもアップされた。マガジンは朝潮、サンデーは長島が創刊号の表紙を飾った。サンデーはマガジンが40円というのを知って30円で発売しライバルをあっと言わせた。手塚治虫の傑作「白いパイロット」や「キャプテン・ケン」はこの時期の連載でこれを超える質の作品は膨大な作品の中にも少ない。

その中には”少年”や”冒険王”に混じり小さな別冊付録も入っていたからだ。

今では中野の「まんだらけ」で法外な値段で取引されている代物です。
高校一年の同じクラスに塩釜から来ていた絵の天才O君と知り合ったのはそんなころ。
話をしたら大の漫画好きで自分でも書いているという。

刺激されて自分でも毎日漫画を描き始め専用のかぶらペンやらGペンやらを買い求めた。
そのころに書きためた大量の原稿はいまだに実家の机に放り込んである。
O君は初心貫徹で東京芸大の美術科に見事現役で合格し大学院まで行ったがその後の消息は不明。

卒業時にオイルショックとぶつかり就職先がないと嘆いていたのを聞いたのが最後となった。

「おれたちの仕事は所詮虚業で景気のいい時にしか用のない仕事なんだ・・・・。」と自虐的に呟いていたのを今も鮮明に覚えている。

小生は絵の道から脱落して歯科医になった。
人生は塞翁が馬なので彼が今頃大成功しているのを時折夢に見るがどうしているのだろう。

死ぬ前に一度会いたいが同級会にも顔を出さないのでよくわからない。

漫画の技法は職業上はなにも役立っていないが面白い顔の患者さんを見るとついペンを握りたくなる衝動ばかりはいまだに抑えられない(笑)。

味気ない医学書にも解説に漫画があればもっと理解が早まるのになあとはしばし思うことです。