アメリカの哲学者カウフマンは宗教の本質を”神のようになろうとする熱望”であると言明した。

宗教の本質を自己自身を向上させようとする熱望であるとすれば宗教は人間にはなくてはならないものといえよう。

しかし一方でまた、”宗教は精神的マゾヒズムだ”と放言する評論家呉智英の発言も一面の真理を突いて痛快である。

田上太秀博士の「仏陀のいいたかったこと」を読むと平易にブッダの教えの本質を理解することが出来る。

すべての人間は平等であり、物に執着しない中庸な人生を歩むことこそが大切だと説くその本質は、戒名や学校経営で稼ぐ現在の仏教界からはすでに遠く失われてしまったものに他ならない。

先だって日本を訪れたブータン国王夫妻の立ち居振る舞いとそのお言葉は様々なメディアを通して日本国民に大きな感動を与えた。

過去「幸せってなんなの?」という命題を身をもって示してくれた国賓は驚くほど少ない。

他にはダライラマを数えるのみ。

そしてそれはご夫妻の帰国後も収まるどころかますます強くなっているようだ。

御夫妻を迎えた日本の仏教界に大いなる違和感を覚えたのは私一人ではないだろう。

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後光が射すかのごときブータン国王と、国王に雨よけの傘をささせた愚かな日本の坊主
私たちは経済活動でなにがしかの金品を得るがそれは次の自分への投資だ。

より良い自分を目指し、より良い職業奉仕のために使ってこその経済活動なのだと思う。

その意味でより良い仕事の追及は宗教のようなものなのかもしれない。

”異形の大国”中国の隣にある小国ブータンのその文化的独立性を、経済大国日本は力強くサポートしていかねばならない。

向こうにはいい迷惑であろうが。