底冷えのする昨晩、昨年定年で退職した高校の同級生と二人で新年会を行いました。

場所は以前勤務していた衛生士嬢のお母さんのお店。

二人で互いの近況などを語り合った後近くの同級生のすし屋に場所を変えしばらく楽しみました。
仙台には様々な飲み屋街があります。
もっとも有名なのは国分町でこちらは高級店が軒を並べています。

昨日行ったお店は壱弐参横丁と書いて”いろは”横丁というしょんべん横丁。

お店の間にいくつもの公衆便所があり独特のにおいを漂わせていて終戦直後のバラックがそのまま残ってるようなオンボロ酒場の集まりですが実際の建物も青色のブリキのトタンで覆われて哀愁を漂わせています(笑)。

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昨日はこちらのいろは横丁。一昨年の地震で壊れなかったのが不思議です。
無事これ名馬?かな。

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高校の同級生が早稲田を出ながら寿司屋をやってる文化横丁。いろは横丁のとなりでこちらはちょっぴり高級感あり。毎月23日に同級会をやってます。

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狭い横丁にこれだけのお店が入っています。

以前は三越デパートの前にも似たような飲み屋街がありましたが今は再開発で立派なビルに代わってしまい、駅前で残っているのはジャンジャン横丁と仙台銀座を含めて3か所だけ。

青葉通りの名物だった屋台も不衛生だというのですっかり姿を消しました。

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戦前戦中はこちらが飲み屋街の王様だったという仙台銀座。今はすっかり国分町に主役の座を奪われて寂れてしまった。

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ネオン煌めく欲望の街国分町。中国人のぼったくり客引きが後を絶ちません。
くれぐれも引っかからないように。

さて件のいろは横丁は古いお店が多く経営者も高齢化が進んでいます。

小さな八百屋さんや魚屋さん、それにてんぷら屋さんなどが混然一体としている様はまるで戦後の焼け跡にあった町並みのよう。

我々が行ったお店も素人だったお母さんがひとりで子供を養うために数十年前に始めたところです。

衛生士で勤務させた娘が歯科医院でいじめにあい困った母が私の教室の教授に相談して紹介されたそんな経緯がありました。
このお母さんの偉いところは娘の勤務の最初の日にきちんとご挨拶に見えたところです。
いまどき子供の就職で親がお礼に来るなんてことはめったに見られませんね。

そのころまだ元気だった父にそのことを話したら昔は当たり前だったと言われ驚いた記憶があります。

その子は期待にこたえ婦長として、結婚して子供が出来るまで10年間勤め上げてくれ現在の衛生士が入るまでのナンバーワンでした。
川柳コンクールで入賞したものに”親を見りゃ僕の将来知れたもの”という句があり大笑いしたものですが一般にだめ親からはだめな子供が育つけれど、立派な親の子がそのまま立派な人間に育つかどうかはわかりません。
同じ片親の衛生士で、その親御さんは娘が辞めた後二十年もずっと盆暮れのご挨拶を欠かさない立派な方もいますが、その娘はわずか二年勤めただけで国分町のホステスになって退職し崩れた生活をしているそんな人もいるのです。
今年もまた新人が入ります。

今の婦長は誠に得難い能力の持ち主で彼女が来てくれたことは僥倖でした。

技工士資格を持った優秀な新人と力を合わせて患者さんに真摯に向き合っていただきたいと零細経営者は切に思います。
期待してますよ。