モノはみな”縁起”であると説いたのは釈尊ゴータマブッダだったが縁起というのは原因と結果というほどのもの。

すなわち物事には皆原因があって結果があるのだから、それを無視しての非合理な祭祀や生贄による信仰などを禁止したのだ。

初期の教えにはガンジス河の沐浴や火の崇拝なども無視あるいは軽視した。

これは火の祭祀によって人の罪障が取り除かれるのなら鍛冶屋はみな聖者となり、ガンジス川の水で浄められるならば洗濯屋は皆死後の昇天が約束されることになる。

こんなバカなことはないので不合理な儀礼自体を不必要と断じたのである。

言葉は変だが釈尊は史上最も古い近代的合理主義者であった。
さて我々の歯科医療であるがずっと変な医療がまかり通っていた。

一本歯がなくなると両脇の健全な歯を削ってブリッジを作ったり、入れ歯の作りやすいようにまだ使える歯をバンバン抜いていた時代があったのだ。

いや、いまだにそうであるともいえる。

特に保険診療は安いのでそうなりやすい。

一方いまだにインプラントにアレルギーを持っている歯科医がいる。

人それぞれだから仕方がないが、自分が出来なければ他人に任せればいい。

患者にとって自分の一本の歯は母親から貰った大事な財産だからだ。
昔インプラントを始めたころにやらない歯科医から変人扱いされて困った。

でも誰だって自分の何でもない歯を削られたり抜かれたりするのは嫌ですよね。

それでも時代がそういう時代だったので今のインプラント全盛時代には隔世の感だ。
釈尊の近代的合理主義を体現した医療を一生追い求めていきたいと思う。