が発表になりました。母校の東北大学は一位の東京大学に次いで二位でした。40数年前を思い出すとそんなにいい大学だったかなあと(笑)疑問に思うことも多々ありますが、なんにせよみちのくの大学が並みいる大都市の大学を抑えて堂々の二位と言うのは立派なものです。

戦前金属研究所の所長から東北大学の総長まで務めたKS綱の本多光太郎先生はノーベル賞を逃したがこれは当時の世界的な風潮と無縁ではなく、黄色人種に賞を授けることはなかったと思われる。そしてそれは梅毒のスピロヘータを世界で初めてヒトの脳の中に発見した野口英世博士にも言えることです。いずれにせよ東北大学は実験第一主義を昔から一貫して標榜していましたので無骨だが時々とんでもない発見や発明をする得難い学校であることは間違いないでしょう。一時期ノーベル賞の最右翼ともてはやされた西澤潤一半導体研究所所長は、真面目に研究していると人生の中で三回くらいはノーベル賞に値する発見をすると話しています。それだけ自然科学は穴だらけでいくらでも研究することはあるそうです。彼が教室の弟子達に口を酸っぱくして言っていたのは、「世界中のだれよりも早く、誰もやっていないことをやれ、そして後追い実験をしないといけないような研究はするな!」という三原則でした。

母校のますますの発展を祈ります。

東北大学発展の礎を築いた本多光太郎先生。いつも汚い着物姿で草履は底が抜けていたそうです。

誰もがノーベル賞間違いなしと思った西澤潤一先生。自分の博士号をこの方から授与されたのが一番の名誉。