今を去ること50数年前、小生の住んでいた田舎町には”便利屋”と呼ばれる人がいました。

いまのようにネットや宅配便が利用できる時代とは異なりまた自家用車なんて言うのは町に公立病院長と郵便局長の家ぐらいにしかない時代。

これもまた当時貴重な自転車を持っている人が、毎日ご近所の御用聞きをして仙台まで自転車で買い出しに行っていたものでした。
驚くのはそのうちの一人は傷痍軍人で足が一本しかなく片足で自転車をこいでいたことです。

たしか橋本商店というお店を持っていました。

昔の人は苦労を屁とも思わなかったのですね。

子供心にも(その頃4歳でした)大人は凄い!と思ったものです。
仙台まで24~5キロ、バスでも1時間かかったのですから雨の日も雪の日も暑いかんかん照りの日でも毎日自転車をこぎ続けて手間賃をもらっていたのは驚異です。

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いまどきの便利屋。
全国チェーンでたばこの買い出しから浮気の調査まで何でもやってくれる。
でもあのころの日本はみな貧乏でしたからわずかばかりのお金を稼ぐのにみんな必死だったのです。
小生の家も貧乏国家公務員の父の稼ぎはひと月1万五千円足らず。

14インチの国産テレビが十五万円もした時代に子供が喜ぶからというので数年間食うや食わずで借金をしながらテレビを買ってくれました。

親というのは実にありがたいものです。その親のために歯医者になり孝行をしました。

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昭和33年ごろのテレビ。当時は夜しか放送がなく昼間はテストパターンをボケっと見るだけだった。
真空管なのでスイッチを入れても20秒ほどは画像が現れず、消したあともしばらく画面に残像が残っていた。
近所の住人達が弁当持参で毎日見に来ていたのは懐かしい思い出。
NHKのチロリン村とくるみの木を毎晩見て小さな茶碗でご飯を食べていた。

お話変わって歯科医師はそこそこ志のあるものはすべての治療に精通し、あわよくば周りから名医だと言われたいという野心を持つものです。

でも一人でやれることはたかが知れており生活のすべてを犠牲にしない限りその夢を実現するのは不可能に近いでしょう。

実際そのような毎日を送り女房に愛想を尽かされて離婚した男を知っています。

その師匠という男も似たバカ者でした。
人間なんでもバランスが大事で、できないことはその道の専門家に頼めばいいだけのこと。

無理をしないで患者さんの幸せだけを考えて診療に当たれば大きなミスはしないものです。
でも自分の限界を悟るというのはなかなか難しいことではありますね。

孫子曰く「敵を知り己を知らば百戦危うからず」