7月15日に田舎の中学の同級会に出てきました。

今年は全員60歳なので還暦のお祝いです。

町の神社でお祓いを受けてから宴会となりました。

ところが困ったことにだれがだれやらさっぱりわかりません。

かろうじて幹事役のYと子供のころいつも山に行って遊んでいたHは見分けがつきました。

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誰が誰だかさっぱりわからない
45年ぶりの同級会と貫録がついた担任の先生。
あと小学生のころから美人の誉れ高かったY子さん。歳を取ってもその美しさは変わりません。

周りのおばちゃんたちの中にいると掃き溜めに鶴(失礼)!

また、中には国分町でお店をやっているママさんもいてそこだけ華やかさが違います。
わずか4クラス160名の同級生たちはここ数年で6名も亡くなったそうで今回が最後の同級会です。

恩師にも七ヶ浜からおいでいただいてにぎやかな開催となりました。
恩師のS先生は私が1年生の時の担任。

駒澤大学を出てすぐの赴任でした。実家はお寺さんです。

当時は着るものが学生服しかなく背広がないので同僚の先生に借りていたそうです。

昭和40年の春でした。どうりで先生の背広はブカブカでした。
下宿を何度か変わられてお引越しのリヤカーを押して行ったのは懐かしい思い出です。
その時荷物らしきものがほとんどなく押し入れに腐った日本酒があっただけでした。

先生はGTOの反町隆史似のハンサムな先生でしたが当時は栄養失調気味で目ばかりぎょろぎょろしている若者でしたが御年71歳になられてずいぶん貫録がつきました。

それでも教え子の中に入ると昔のハンサムだった先生に逆戻りです。

昔を思い出して胸がキュンと締め付けられました。
先生は国語の時間に戦争でグラマンの機銃掃射を受けて畑を逃げ回ったなどという話を授業中にしていましたね。

戦争の記憶がまだ色濃く残っていた時代でした。
いろいろ話したいこともたくさんあったのですが私は東京でノーベルのシンポジウムがあり後ろ髪をひかれながら挨拶をして皆さんと別れました。

今後もう同級会の開催はないとのこと、皆さん健やかに老いて幸せな後半生をお送りいただきたいと思います。