昔々抜けた歯の代わりに貝殻を削って入れたのが歯科インプラントの始まりだそうだが、これはインカの遺跡から出土した頭蓋骨に見つかり、しかも骨にしっかりくっついていたので二度我々を驚かせた。

考えてみれば貝殻はカルシウムなのでなじみが良かったのだろう。

塩水でちょちょっと洗って差し込んだのだろうか?

今のチタンインプラントも塩水につけて埋め込んだらいかがなものだろうという、気にふとさせられるのが可笑しい。

さて自動車だが昭和30年代の初めころは田舎道を走る車はほとんどなく、一日丘の上から国道を眺めていてもたまに左ハンドルの大きな外車が通るくらいで後は馬車だけ。

月光仮面も中央線の無い舗装もされていないガタピシの道をバイクで走っていたが、そのとき悪漢の乗る車はすべて外車でしたね。

7歳まで自衛隊の後ろの農家の借家に住んでいたので小生にとって車と言えば戦車で、あのころは米軍払下げのシャーマンだったのかな?

戦車はやがて国産の61式中戦車に替わったが、日本は憲法上軍備を持てないことにアメリカにされてしまっていたので戦車は”特車”なぞという変な名前で呼ばれていた。いまもそう。

当時はプラモデルをたくさん作った。

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あこがれの61式はずいぶんプラモで作りました。初の国産戦車。

オリンピックを境に日本はやがて高度成長に突入し、公務員の父親の給料はさっぱり上がらなかったが世はモータリゼーションの時代に突入した。

大学生になり専門課程になって車を買ってもらったが、親も金がないので一番安い大衆車でしかもガソリン代から維持費すべてをバイトで賄った。

当時は塾の講師をやって小学生から大学受験の頭のとびきりいいのまでたくさん教えていたのでもう一回受験すればどこでも合格できそうな変な自信を持っていたから可笑しい。

開業していろいろ車を乗り換えたが子供のころからの憧れの左ハンドルはBMWで始まった。

高校の先輩で車屋の社長の推薦で東京まで一緒に買いに行き633CSiという世界で最も美しいと言われたクーペを手に入れ、一緒に高速道路を吹っ飛ばして帰ってきた。

東京で歩いていた時に高橋勝手口と言う表札を見つけ、東京には変な名前の人がいるのだなと思ったら、実はお勝手の入り口だったので田舎者はしょうがない。

気に入ってしばらく乗ったがエンジン音がやたら大きく、冬場の暖気運転で隣近所に迷惑になる感じだったので、やむなく静かなメルセデスのセダンに乗り換えた。

これが二年後に冬場のスリップで大クラッシュを起こし九死に一生を得てからは、やはり外車は安全だなとの思いが強まりいまだにドイツ車で左ハンドルと言うのは変わっていない。

外見の美しいイタリア車やアメリカ車はいつ壊れるかわからないのでやめなさいという先輩の忠告をいまだに守っているのが長生きできている証拠なのかもしれない(笑)。

さて実用一点張りのドイツ車だが最近電気自動車でガソリンの三気筒エンジンを積んだハイブリッドでモーターショーのモデルがそのままあらわれたかのような車が発売されたというので見に行った。

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BMWi8がそれで実物は目を見張るような美しさ。欲しかったが天文学的な値段でため息をついてきた。

納車前の車で購入されたのはホテルのオーナーだそうです。

でもセールスが「変なとこへはいけませんよ。」と言っていたので考え中です。